もちの味

 砂糖醤油という食べ方を知ったのはもっと後のことだった。


 餅には砂糖でしょ、と思っていた。


 日本国民全員がそうだと信じていた。醤油だけをつけて食べる人がいることや醤油の中に砂糖を入れて混ぜてそれをつけて食べるなど、当時の私には全く想像がつかなかった。

 

 子供の頃は自分の家庭が世界そのものなのだ。その世界が唯一の価値観であり疑う余地がない。だってそれしか知らない。知りようがないのだ。


 そんな流れがあって当時の私の世界には”餅には砂糖”の価値観しかなかった。

 焼いてちぎって食う餅が好きだった。特に冬、コタツに入りながら夜中にテレビを見ながらのんびり食べる餅が好きだった。


 餅の味そのものよりもそのシチュエーションが好きで、そのシチュエーションが餅をより一層美味しく感じさせた。


 小皿に盛った砂糖にちぎった餅をつけて食べる。一人でテレビを見る。「明日は学校休みやから寝るの遅くなっても大丈夫や」とか思いながらダラダラと時間を過ごす。朝になって外が明るくなって寝る。


 今思えばそれはなんて生産性のない時間の過ごし方なのかと呆れる。なにもせずただ餅を食べながらボーッとしているだけである。その過ごし方に幸せを感じていたのだと思う。食べているものが”餅”か”餅以外”かくらいの違いで、毎日似たような時間を過ごしていた。

 

 しかし考えてみれば今もあの頃と対して変わってはいない。むしろあの頃よりも歳をとってデブになり酒を飲み始め生産性のなさは向上してしまっている。あの頃はまだ学生だったから良かったものの今はもう社会人だ。

 社会人なのに生産性なく夜中に酒を飲み好きなものを食べてボーッとしている。こうして文にするとより一層自分のロクでもなさが際立つ。何か生産性のあることしろよと喝を入れてやりたい気持ちすらある。自分のことなのに。


 結局のところ餅にとって大事なのは味じゃないのだ、きっと。


 大切なのは餅を食べるシチュエーションである。


 一人でテレビを見ながら食べる餅も好きだけど、きっとみんなで食べる餅は美味しいはずである。あーだこーだと言いながら食べる餅はいつもと違う味になるはずだ。


 そういう意味で”餅”は不思議な食べ物なのだ。美味しい餅を食べるにはそれなりの場が必要である。


 それがもちまつりなのだ。